一生コンサドーレブログ #consadole

コンサドーレ札幌について。

あいつ今なにしてる? 第5回 藤田征也

スピードスター。

 

 

2006年にユースから昇格。西大伍と同世代。右サイドが主戦場。翌年から主力定着。世代別代表にも。北海道の誇り。道産子。08年に7番を背負う。

 

自分がコンサドーレを興味を持ち始めた2009年にフル稼働。キャンプ前は右サイドバックに挑戦。夢があった。守備が原因で監督に諦められた。

精度の高いクロス。縦への推進力や献身的な上下運動が持ち味。スピードスター。右サイドハーフで確固たる地位に。

また終盤は左サイドで出場。切り込んで右足でのシュートの自分の形に。右に左利きの古田、左に右利きの藤田と両サイドにドリブラーを置きバルセロナ的な感じに。

 

2010年、同世代の西が期限付きで新潟に。より一層チームを背負う存在になると期待されていた。が、このシーズンコンサドーレは低迷。藤田のパフォーマンスもイマイチであった。正直、あんまり藤田のプレーは記憶に残ってない。

 

このオフとんでもないことが起こる。

 

主力の多くが他チームからのオファーが来ていた。そんな中、藤田はチームの流れを遮るように「来年も札幌で」とメディアにコメント。

 

よく言った藤田!ずっと札幌に居てくれ!藤田最高!来年は征也のユニフォームや!

 

 

それから数日後、公式のオフィシャルサイトを見ると、、、

 

 

 

 

藤田征也選手 アルビレックス新潟へ移籍のお知らせ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は?????え????

目を疑った。意味がわからなかった。

 

この年、同世代の西が鹿島へ新潟からステップアップを遂げた。期限付き元の札幌には当然、新潟にもお金が入った。これで味を覚えたのか新潟は第二の西目当てに藤田に白羽の矢を立てた。同世代の西のステップアップは藤田を焦らせたのかもしれない。うちにくればステップアップできるよとか言われたかも。そして移籍を決断。

移籍金は入ったもののサポーターの反感をかった。あの発言がいらなかった。

 

「来年は新潟で」

 

その後、新潟では開幕戦ゴール。初年度はまずまず?

背番号7を背負う。が、2年目。序盤から出場機会を失った。しかし、シーズン途中に監督が交代。札幌での指導経験もある柳下監督。藤田を指導したこともある。そして、藤田は再生。右サイドハーフとして初陣?で決勝点。チーム久々の勝利とこの年の残留に貢献。

 

3年目、右サイドバックで開幕から出場。しかし、前半で黄紙を二枚貰い退場したりバックパス連発などサポーターの反感を買った。当時、めちゃくちゃ叩かれていた。出場機会を失った。

新潟4年目となる2014年。お前残るんかいと藤田の契約更新に私は疑問を覚えた。そして湘南へのレンタル移籍を開幕してから発表。コメント片道。この時ある新潟サポが「新潟史上最低補強」とか「金を払って獲得したのが無駄だった」とかコメントしていて悲しくなったのを覚えている。

湘南では後にj2で断トツで首位を走るチームに右ウィングとして藤田がハマった。推進力、運動量など湘南スタイルに合致した。スピードスター復活。

この年、札幌ドームで再会。試合中はブーイング。この試合、勝利したからか試合後挨拶に来た際は拍手に包まれた。多分、多くのサポが移籍時のいざこざを忘れていたかもしれない。時間がすべてを解決。

2015年、湘南スタイルを武器に躍進するチームを支えた。藤田がj1でも通用しているのを見て嬉しくなった。

が、翌年チームは低迷。藤田も不調が目立った。降格。終盤ボランチとして出場していて驚いた。

今シーズンも右ウィングでj1復帰を目指すチームを支える。

 

 

 

藤田がしくじり先生に出るなら余計なことはメディアに言ってはいけない先生。

 

もう許したサポが大多数なので戻ってきても反感は買わなそう。