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コンサドーレ札幌について。

三浦俊也氏がレコンビンが会長を務めるベトナム1部ホーチミン・シティの来季監督候補に

みうみう

 

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まさかの元札幌繋がり。(レコンビン13年プレー、三浦監督07~08指揮)

 

14年~16年までベトナム代表監督だった三浦氏。まだ戦術はゾーンディフェンスなのだろうか。

三浦俊也 - Wikipedia

札幌時代[編集]

2007年は札幌の監督に就任。前任の柳下正明は攻撃的なサッカーを志向し実際攻撃力も高かったが、守備に脆さがありそれが大事なところでの敗戦にもつながっていた。三浦はFW陣にも守備意識を教え込むなど全員守備の組織的なサッカーを導入。失点は激減し開幕から順調に勝ち点を積み重ね首位を独走した。中盤以降、疲労や戦術を攻略されたこともあってもたつく時期もあったが、最終節(12月1日)の水戸ホーリーホック戦で勝利し、J2優勝、そして悲願のJ1復帰を果たした。

J1に復帰した2008年シーズン、中盤の核として期待していたアルセウが1週間で退団、ブルーノ・クアドロスの契約解除、曽田雄志を中心とした昨季のJ1昇格に大きく貢献したDF陣が負傷離脱という厳しい状況となる中、エースFWダヴィの活躍で得点はある程度取れていた。しかしケガ人が続出したことや、それ以上に堅守と言われたゾーンディフェンスがJ1のクラブ相手に通用せず崩壊した。またハードワークなどの守備中心の戦術だったため、各試合で(1試合で二人以上出た試合もあった)選手の退場数が多いことも響き、序盤から成績が低迷。シーズン途中で箕輪義信が加入し、守備はそこそこ安定したものの、7、8月の試合で幸先良く先制しながらも終盤で逆転され、勝ち点を奪えない試合が続き、史上最速タイ(当時・残り5試合)でのJ2降格が決定した。2009年シーズンの続投を要請されたが、この降格の責任を取る形でシーズン終了後に札幌監督を辞任した。

 

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